淨教寺(じょうきょうじ)は、奈良県奈良市上三條町にある浄土真宗本願寺派の寺院である。山号は九条山。本尊は阿弥陀如来立像。

歴史

『淨教寺由緒略記』によると、開基行延法師は、河内国八尾の庄司で、真野将監行延と名乗る知勇兼備の武士であった。浄土真宗開祖親鸞上人の直弟子となり、寛元2年(1244年)3月出家し、法名を行延と賜ったという。

第6世の円誓には実子がなかったが、楠木正季の孫が初陣にあたり深手を負い、円誓の養子となって空信と法名を授かり、第7世を継いだと伝わる。このため当寺では「九耀菊水」を定紋に用いるようになったという。また北朝光明天皇の勅願所となり、「称仏明院」の号を賜った。

11世行心の代、享禄3年(1530年)に、河内国から大和国添下郡冨庄西城村に移転し、また永禄2年(1559年)12世行春の際に、しばらく九条の里に移っていたという。この頃より九条山と号するようになった。また天正19年(1591年)、行春は石山合戦の際の忠節を顕如上人から讃えられ、御染筆にて「淨教寺」の号を賜り、石山本山内仏の本尊阿弥陀如来を拝領したという。

慶長8年(1603年)3月6日、徳川家康から南都上三條で御赦免の寺地を頂戴し、現在地へ移転した。

享和2年(1802年)の本堂建立にあたっては、本如上人から斗栱・平三斗・肘木などを拝領し、大乗院門跡からの瓦料の寄進等もあり、桁行6間半、梁行5間半、丸柱の大本堂が成就した。本山の役寺として、末寺との連絡や奈良奉行、小泉城主片桐氏などとの連絡に携わった。寺には「御頭御斉頂戴之由来并御花御燈籠献上之次第・盆御燈籠御迎心得之記」など古い記録が残る。

1936年(昭和11年)1月26日未明の火難で、本堂は全焼した。24世島田義昭は本堂復興を計画し、1968年(昭和43年)10月19日、岸熊吉氏設計の大本堂が竣工した。

文化財

登録有形文化財

山門

江戸末期の建築。均整の取れたつくりで、動植物・渦・雲等の彫刻が各所に施されている。

掲示板舎

1933年(昭和8年)の建築。小規模だが受木に彫刻が施されるなど、丁寧な造りである。

奈良市指定文化財

ソテツ

根株の周囲6.5メートル。1本の株から25本もの幹が出ている珍しいもの。樹齢約250年。

その他

  • 本尊 - 阿弥陀如来立像、鎌倉時代の作と伝わる。
  • 蓮如上人筆六字名号
  • 寂如上人の四幅の御影
  • 本如上人筆の梅花黄鶯図
  • 猩々舞楽の茶碗 - 安政7年(1860年)、本如上人から拝領。

ギャラリー

交通アクセス

  • 近鉄奈良駅7-S出口より徒歩4分(経路案内)。
  • JR奈良駅東口より徒歩8分(経路案内)。

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 奈良市史編集審議会編『奈良市史 社寺編』、吉川弘文館、1985
  • 現地設置案内板(奈良市教育委員会)

関連項目

  • 三条通り

外部リンク

  • 淨教寺ホームページ

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二河白道の譬え 浄土真宗 本願寺派・九条山 淨教寺(奈良県奈良市)

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