七ノ坪遺跡 (しちのつぼいせき) とは、泉大津市に位置する、弥生時代から中世にわたる複合遺跡である。
概要
1957年、大阪府立泉大津高等学校北門前の水田、通称「七ノ坪」で地下げ工事が行われた際、同校地歴部部員によって土師器が採集された。 これが遺跡発見の契機となり、「七ノ坪遺跡」と名付けられる。遺跡の詳細については不明のままだったが、1968年以降、何度か調査が行われ、複合遺跡であることが確認された。
七ノ坪遺跡の南限および南西限は、泉大津高等学校であるとされる。また、同遺跡の奈良時代以降の堆積深は75-80センチメートルであると指摘されている。なお、七ノ坪遺跡のある和泉地域の平野部は気候も温暖で、降水量もそこまで多くないことから、生活の場として早くから開けていたという指摘もある。
出土遺物
- 弥生土器
- 古墳時代の土師器
- 須恵器
- 師楽式土器
- 子持勾玉
- 磁石
遺構
- 弥生時代後期の溝
- 古墳時代の溝
脚注
参考文献
- 坂口, 昌男、貴志, 正則、楠山, 享司『七ノ坪遺跡発掘調査概要』 7巻大阪府泉大津市東雲町9-12〈泉大津市文化財調査概要〉、1982年3月31日(原著1982年3月31日)。doi:10.24484/sitereports.5277。 NCID BN0314211X。https://sitereports.nabunken.go.jp/5277。




