リウドルフ(ドイツ語: Liudolf, 806年頃 - 866年3月12日)は、ザクセンの伯。東ザクセン公とも呼ばれる。東ザクセンの領土をめぐってノルマン人やスラヴ人と争った。リウドルフはリウドルフ家(リウドルフィング家)の事実上の家祖であり、その家名は彼の名に由来する。
生涯
リウドルフは、フランクの族長(princeps)ビルングとエーダの間の娘であるオーダと836年頃に結婚した。このフランク貴族との結婚によって、リウドルフ家はフランク王国内で確固たる地位を占めた。オーダは913年5月17日に亡くなった。107歳と推定されている。また、リウドルフは娘リウトガルトを東フランク王ルートヴィヒ3世と結婚させ、東部辺境の防衛を担うこととなった。
845年(あるいは846年)、リウドルフとオーダはローマ教皇セルギウス2世のもとへ赴き、女子修道院を建設する許可を願い出た。セルギウス2世はこれを許可し、852年にブルンスハウゼンに女子修道院が建設され、リウドルフの娘のハトゥモット(Hathumod)が初代女子修道院長に就任した。その後881年に修道院は移設され、ガンダースハイム修道院となった。リウドルフは866年に死去し、ブルンスハウゼンに埋葬された。
リウドルフの死後、息子ブルンがザクセン公位を継いだが、ブルンはノルマン人との戦いで戦死し、ブルンの弟オットー1世(貴顕公)が公位を継いだ。オットーの息子が東フランク王ハインリヒ1世である。
子女
オーダとの間に少なくとも7人の子女をもうけた。
- ブルン(830/40年 - 880年) - ザクセン公(866年 - 880年)
- リウトガルト(840年頃 - 885年) - 東フランク王ルートヴィヒ3世と結婚
- ハトゥモット(Hathumod)(840年頃 - 874年) - 初代ブルンスハウゼン女子修道院長(852年 - 874年)
- オーダ(845年頃 - 874年) - シュターデ伯ロタール1世と結婚
- オットー1世(851年頃 - 912年) - ザクセン公(880年 - 912年)、東フランク王ハインリヒ1世の父
- ゲルベルガ(? - 896/7年)- ブルンスハウゼン女子修道院長(874年 - 896/7年)
- クリスティナ(? - 919/20年) - ガンダースハイム女子修道院長(896/7年 - 919/20年)
脚注
参考文献
- 成瀬治 他 編 『世界歴史大系 ドイツ史 1』 山川出版社、1997年
関連項目
- ザクセン君主一覧




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