丸山 圭子(まるやま けいこ、1954年5月10日 - )は、日本のシンガーソングライター、大学教員。1976年の「どうぞこのまま」のヒットで知られる。埼玉県浦和市(合併後:さいたま市浦和区)出身。ドリーム・ウィーバーと業務提携。
人物・来歴
3歳からピアノを習う。中学に入るとフォークソングが盛り上がりをみせ、自身も友達のギターを借りジョーン・バエズから五つの赤い風船、ベッツィ&クリスなどを弾き語る。ただし当時はまだ音楽よりスポーツ中心の毎日を送っていた。
高校は埼玉県立浦和第一女子高等学校に入学。友達3人で「サンデースプリング」というバンド名で練習するが、当時はフォークギターを持つだけでも問題視される時代で、職員室に呼ばれたという。カバー中心で練習して、遊びでオリジナル曲を作る程度の活動だった。1972年冬のニッポン放送主催「VIVA唄の市」に「しまふくろうの森」で出場し予選で入賞、神田共立講堂で行われた全国大会でも入賞する。
1972年11月、エレックレコードよりアルバム『そっと私は』、シングル「心の中の」をリリース。1973年1月から2年半にわたりラジオ関東で『キョーリンヘルスフォーク・圭子のソネット』という10分間の帯番組を担当、番組中で制作した120曲の音源の一部は、1977年にアルバム『花紋様』としてリリースされた。1973年、ピピ&コットに加入。解散後キングレコードに移籍し、1976年3月にアルバム『黄昏めもりい』、シングル「ひとり寝のララバイ」を同時リリース。アルバム収録曲の「どうぞこのまま」が有線放送から人気に火が付き、急きょシングルカットされ同年7月にリリースされると、秋から翌年にかけてのロングヒットとなった。このヒットにより1970年代後半にニューミュージックと呼ばれたジャンルで、荒井由実らとともに女性シンガーソングライターの台頭を示す存在になった。キングレコードには1978年まで所属(実質約2年間)し、アルバム5タイトル(ベスト盤含む)、シングル6タイトルをリリースした。1979年7月に第一子(サトウレイ)を出産。1980年代に入ると、ビクター、トーラスレコードに所属してアルバム5タイトル、シングル6タイトルをリリースした。トーラス時代の1983年には後述のようにテレビドラマの主題歌を2曲リリースし、1984年、浜田省吾のカバーシングル「片想い」のリリースを最後に活動を休止した。
1993年、第二子を出産後、夫の佐藤準も猛烈に忙しい時期で関係が悪化、調停の末離婚が成立。二人の子供と3人暮らしを始める。その時期に体調が悪化、1995年、病院を受診したところ卵巣に大きな腫瘍が見つかり摘出手術を受けた。結果は幸いにも「良性の卵巣嚢腫」だったが、1か月に及ぶ術後の入院生活のあいだに今後の2子との生活や歌手活動について考える機会となった。丸山の素性を知った入院患者でミュージシャン志望の女性から音楽の指導を乞われたのがきっかけとなり、退院後は指導者としての道が開けた。個人レッスンや音楽専門学校の講師などを経て、2009年から新設された、洗足学園音楽大学ロック&ポップスコースの客員教授に就任した。丸山は両親とも教員であり、「教育者としての遺伝子」が覚醒したのかもしれない、としている。
1996年から音楽活動を再開。1999年には、丸山と太田裕美、須藤薫、水越けいこによるジョイントコンサート「MAMA's MUSIC PIE」をプロデュースして同年9月に開催した(於、ON AIR EAST)。2000年代以降、アルバム制作やライブ活動も精力的にこなしている。
2009年12月31日、『第42回年忘れにっぽんの歌』(テレビ東京)に生出演。
2020年代に入り、ビクター時代のアルバム『MISS LONELY』、『MORE・愛』の初CD化とネット配信開始、トーラス時代のアルバム『誰かが私を愛してる~LADY-GOOD』、『XANTHIPPE』のCD化、さらに、デビュー50周年記念としてキングレコード在籍中の全アルバムのネット配信開始と、レコード時代の楽曲のデジタル化が相次いでいる。
丸山圭子といえばキングレコード時代の大ヒット曲「どうぞこのまま」のイメージが強かったが、近年はシティポップブームによってビクター、トーラス時代の楽曲も再評価されている。
ディスコグラフィ
シングル
アルバム
オリジナルアルバム
カバー・アルバム
ベスト・アルバム
タイアップ一覧
主な提供楽曲
- 麻丘めぐみ
- 夢のつづき(1984年、作詞)
- 石川ひとみ
- 夕暮れて(1981年、作詞・作曲) ※作曲は佐藤準との共作。
- 石野真子
- フルーツ・ベイビー(1979年、作詞・作曲)
- シルバー・ムーン(1979年、作詞・作曲)
- 岩崎宏美
- 季節のかほり(1978年、作詞・作曲)
- 香坂みゆき
- FREAKY FRIDAY(1978年、作詞・作曲)
- 恋のシーソー・ゲーム(1978年、作詞・作曲)
- 沢田亜矢子
- 今宵二人で(1981年、作詞)
- 霧に濡れた朝(1981年、作詞)
- 大地真央
- Strange Affair(1982年、作詞)
- 高田みづえ
- マイ・オンリー・ロンリー・ボーイ(1982年、作詞)
- 多岐川裕美
- マリン・ラヴ・アゲイン(1983年、作詞・作曲)
- 午前5時前に(1983年、作詞・作曲)
- 田中好子
- 誘ってLOVER BOY(1984年、作詞・作曲)
- Feel My Love Inside(1984年、作詞・作曲)
- 南沙織
- 木枯しの精(1977年、作詞・作曲)
- つぶやき(1977年、作詞・作曲)
- 山口百恵
- 水鏡(1978年、作詞・作曲)
- 空蝉(1978年、作曲)
- 由紀さおり
- シングル・ナイト(1983年、作詞・作曲)
- 琥珀色の悲しみ(1983年、作詞・作曲)
著書
- 「どうぞこのまま」(小径社) 2014年 ISBN 9784905350033
*「丸山圭子の作詞作曲・自由自在」(言視舎)2020年
出演
ラジオ
- キョーリンヘルスフォーク・圭子のソネット(1973年1月 - 1975年7月、ラジオ関東)
- 丸山圭子と小山文彦の〜音楽はマルチビタミン(2020年4月4日 - 9月26日、クローバーラジオ)
書籍
- 写真集 五線譜に舞う女たち ニューミュージック叙情詩の世界(共同通信社、1980年12月15日)
- 週刊プレイボーイ (集英社、1977年1月11日号 No.2)-モノクログラビア
- 週刊プレイボーイ (集英社、1977年10月11日号 No.41)-グラビア
脚注
注釈
出典
関連項目
- 1972年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手
- 埼玉県出身の人物一覧
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 丸山圭子のそぞろ喋歩き - オフィシャルブログ
- 丸山圭子 - 洗足学園音楽大学
- 丸山圭子 (keiko.maruyama3) - Facebook
- 丸山圭子 (@@KeikoAi0510) - X(旧Twitter)
- 丸山圭子 Official youtube channel - YouTubeチャンネル
- _... m o m e n t ...._-インタビュー


