シャルル・ド・ロアン=ロシュフォール(Charles de Rohan-Rochefort, 1693年8月7日 - 1766年2月25日)は、ブルボン朝時代フランスの貴族、廷臣。ロシュフォール公及びモントーバン公。ロアン家の現在まで続く分流ロアン=ロシュフォール家の始祖。
生涯
ゲメネ公シャルル3世・ド・ロアンとその2番目の妻シャルロット・エリザベート・ド・コシュフィエ(1657年 - 1719年)の間の第11子・五男。1727年すぐ上の兄エルキュール=メリアデックがロアン家の家督を継ぐが、翌1728年弟のシャルルはロシュフォール=アン=イヴリーヌを中心とする所領の一部を分与され、分家を創設した 。
1722年9月23日ウジェーヌ=マリー・ド・ベティシ・ド・メジエール侯爵の娘、エレオノール=ウジェニー・ド・ベティシ・ド・メジエール(1707年 - 1757年)と結婚、間に4人の子をもうけた 。
- エレオノール=ルイーズ=コンスタンス(1728年 - 1792年) - 1742年ジャン=ギヨーム・ド・メロード=ウェステルロー侯爵と結婚
- シャルル=ジュール=アルマン(1729年 - 1811年) - ロシュフォール公及びモントーバン公
- ルイーズ=ジュリー=コンスタンス(1734年 - 1815年) - ブリオンヌ公ルイ・シャルル・ド・ロレーヌと結婚
- ウジェーヌ=エルキュール=カミーユ(1737年 - 1816年) - オンブリエール修道院院長
引用・脚注




